知人の死を知って思うこと
今日は久し振りの友人と会いました。
同じグループだった数人が集まると、共通の知人の近況が話題になります。
その中で、ひとり亡くなったことを知りました。
アラフォーになって年を取ったなぁと実感してるとは言え、亡くなるにはあまりに早い年齢。
びっくりしました。
そして、「純粋な驚き」以外の感情が湧かなかった自分にもびっくり。
同じグループだったときは仲が良かったのに。
いろいろあってわたしが拗らせた感情を持ってしまったので、結局、縁は切れてしまった人。
揉めたとかケンカをしたとかではなく、わたしが「嫌だな」と思うことがあって、もう関わりたくないと思ってしまった。
彼女に悪気はなかったのはわかってる。ただ、わたしがひねくれてただけ。
でも、わたしは彼女がすごく好きだったから、わたしが思う「友達としてやって欲しくないこと」に平気でいられなかった。
すごく好きな人でなければ、逆に平気だったんだろうと思うけど。
そんなこんなで縁を切ったわけだけど、彼女にとってわたしが友達であったなら彼女からの連絡があったのかもしれない。
縁切りを宣言したわけじゃないし、ただ連絡しなくなっただけだから。
けれど、彼女からの連絡はなかったし、その程度にしか思われていなかったんだと自覚することで余計に気持ちはこじれた。
そもそも、友達だと思われていなかったんだなぁと。
結局のところ、好きな人に友達と思われていなくて拗ねたわたしってだけの話。
でも、それも10年以上前の話。
痛みも思い出に変わり、もう思い返しても心がざわつくこともなくなってた。
だからこそ、仲の良い時期もあって、しょっちゅう一緒にいた時期があって、大好きな友達だと思ってた人が亡くなったのに、悲しいって気持ちが湧いてこないわたしはどうなんだろうって思う。
あまりにも早い死に、ホントに驚いた。それはホント。
まだ同年代の死が身近になる年齢ではない。
彼女の訃報を誰から聞いたっていう話になったときに、やっぱり彼女に友達だと思われていなかったんだなっていうことを改めて実感して悲しかった。
でも、それだけだ。
彼女の死自体に対する悲しみは、不思議なほどに湧いてこない。
個人的な彼女に対する思いはあれど、なんだかんだで10年以上関わりのなかった人だしそれが当たり前なのかな。
けれど、わたしは母の死すらまだ悲しめていないと思う。もう2年以上経つのに。
葬儀の際は大泣きしてるけど、落ち込んだりとかそういうことはあまりなかった気がする。
いまだに母が死んだ実感がないって言っているし、それはホントなんだけど……こんなに平気でいいのかなって思ってしまう。母親とはもう会えないのに。
わたしは人間的にすごく冷たいのかもしれない。心が死んでるのかもしれない。
結局は、自分のことしか考えられないエゴイストなんだと思う。
彼女の死に対して何とも思わなかった自分が悲しい。
それは、彼女の死を悼むこととイコールではない。
わたしは、自分のことしか考えていない。自分のことしか考えられないんだと思う。
なんか、久し振りに自分がすごく腐った人間のような気がしてもやもやしてたので吐き出し。
こんなこと、誰にも言えないよね。